社長・役員
スピーチ
マーク・フィールズ社長の講演:経済同友会
【マーク・フィールズ代表取締役社長兼CEO】
メリルさん、好意あふれるご紹介、誠にありがとうございます。経験によりますと、エレベーターに乗るとき、階数表示板ばかり見ていると多くのことを見逃します。
それから、タイムリーな時機にスピーチをさせていただくことにも感謝いたします。
この講演の日取りを決めた時点では、一部の新聞で報道されたような、私が日本を離れる計画はありませんでした。
しかしながら、結局、私が7月にロンドンに移る前に東京で重要な講演をさせていただく機会は、これが最後ということになりそうです。
そしてもちろんこの場は、今日私が皆様のために用意したメッセージを伝えるために、最もふさわしいものです。
経済同友会は、日本の企業経営を科学のレベルまで、おそらくは芸術と言っていいレベルまで高めるにあたり、長年にわたって重要な役割を果たして来られたと理解しております。
また、日本企業と海外の実業界の結びつきを強めるために、経済同友会が主導的役割を果たして来られた、ということも私は知っております。
このことを頭に置いていただきたいとおもいます。と言うのは、今日私がお話しすることは、この2つの事実のどちらにも関係しているからです。
最初に根源的な問いを投げ掛けます。まずこれについて考えてください。
本当の力、とは何でしょうか。
そして、この本当の力はどこから生まれるのでしょうか。
本当の力ではないものを挙げましょう。
私の考えるところでは、本当の力とは、これまでの世代が蓄積した富ではありません。本当の力とは、個人や企業として継承できる信用でも社会的地位、でもありません。
たしかに、こういったものは価値ある財産ですが、単なる道具に過ぎないのです。
本当の力とは、与えられた道具を手に取り、それを使って創造する能力です。
本当の力とは、世代が代わるごとに、新しく獲得すべきものなのです。
逆境に立ち向かいそして克服するのでなければ、力は獲得できません。
ウェイトトレーニングで筋肉が成長するのと同様に、本当の力は、立ちはだかる障害に正面から立ち向かうことで育てられるものです。
その証左としては、信じがたいほどの苦難が、ほとんど無一物で残された世代から、如何にして超人的とも言える力を引き出したかに注目していただくだけで十分です。
日本の都市は、すべて焼け野原となりました。産業は破壊されてしまいました。何百万もの人が家を失い、飢えに苦しんでいたのです。
日本の戦後世代が直面した課題は、避けることができないものでした。「しかたがないこれはどうしようもない」、とは言っておられなかったのです。立ち向かわなければなりませんでした。課題を解決しなければならなかったのです。
そして戦後世代は、奇跡の経済復興によってこれに応えました。この戦後世代が蓄積した富は、人類史のどの世代の富よりも大きかったのです。
これこそが本当の力なのです。
そして、その遺産の重要な部分を託された一人として、皆様に申し上げることができますが、私は、日本の戦後世代の業績に対し、途方もなく大きな尊敬を払うようになりました。
しかし、この世代が持っていた力の本質とは何だったのでしょう。そして、現在の課題の解決に役立つ新しい力を、どうすれば現在の日本企業の中に作り出すことができるのでしょう。
その力の最も目につく要素は、勤勉と密接なチームワークとの両方に関する信じがたい能力でした。この能力は、数千年にわたり、地震や火事、それに台風の後の復興によって磨き上げられたものです。
しかし戦後世代は、ただ同じ仕事をより熱心にやったわけではありません。
この世代が獲得した本当に決定的な力は、変化し適応する高い能力でした。まったく新しい方向を決め、その方向に進む能力だったのです。
戦後世代はこの能力を内に備えていたのですが、変化するための力を発揮するには、逆境や生死にかかわる危機に直面することが必要だったのです。
今気づかわれているのは、日本の現在の危機が、同じような力を引き出すきっかけとなっていないことです。それはおそらく、戦後世代の巨大な功績によって、これまでは変化の必要性が減殺されていたためでしょう。
少なくとも日本はそのような印象を世界の他の国々に与えています。先日のニューズウィークの表紙をご覧になりましたか?そこでは、日本はアジアの新しいスイス、つまり裕福で、心地良く、他の世界と関係をもたない国とされておりました。
ところで、マツダはそのような贅沢が許されなかった会社の1つです。マツダは、変化の必要から身をかわすことはできませんでした。
皆様は、過去数年間にわたり、「病めるマツダ」についてお読みになられたでしょう。そしてそれは事実であり、マツダは存亡の危機にあったのです。
反語のようになりますが、私は予言します。この危機はいつの日か、マツダの大きな幸運とみなされるでしょう。この危機によって、マツダは、変化するための大きな能力を発揮することを迫られたからです。
過去2年間、マツダ改造のための青写真であるミレニアムプランによって、業務のほぼすべての面が改善されました。
ニュースで大きな見出しとして取り上げられる変化は、どうしても生産設備の縮小や人員の削減といった施策になります。しかし、舞台の裏側で達成してきたことが、最終的には最も大きな効果をもたらすのです。
マツダでは、仕事の進め方を根本的に変更しました。意思決定の方法、経営資源の配分方法、それに、スキルを養う方策です。
「特効薬」や「応急処置」は使いませんでした。苦痛を伴う方策、つまりは長期的な成功を保証する唯一の方法をとったのです。
そして、マツダの努力はようやく実を結び始めました。
昨日は、マツダ82年の歴史において最大の当期純利益の改善を発表しました。
2001年度については、マツダは欧州を除く世界の全てのオペレーションにおいて利益をあげました。欧州においても多大な成果を遂げており、今期は利益を達成するでしょう。従って、私たちは非常にバランスの良い結果を実現しました。
また、以下の諸点も注目に値します:
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この転換は、公的資金の注入無しで実現されたものです。 |
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この成果は、フォードからの大規模な資金投入の結果ではありません。 |
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円安の恩恵はあるものの、非常にきびしい市場環境の下で達成した転換です。 |
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経理上の不正な隠し立てはありません。 |
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新製品によるサポートさえもありませんでした。実際には、これらの成果は、新製品開発への支出が最大となっている中で実現されたものです。 |
この転換は、マツダの社員がナットやボルトをしっかり掴むというようなビジネスの基本に忠実に取り組み、無駄を省いて生産性を改善した結果です。確かに円安の恩恵を享受しました。しかし、私たちは、私たちがコントロールできるものに力を集中しました。そして、その力の集中は実を結びました。
同じ時期に、将来のための種も蒔きました。他社を模倣した商品によってあわてて市場に突進しませんでした。そういう方法ではなく、時間をかけて一連の新製品群を開発しましたが、これらの新車は、我々の原点つまりは本来の強みへの回帰を体現するものです。そして、飛躍的な品質向上を実現し、ターゲット顧客の願望を充たす戦略を具現化したものです。
これらの新製品の内、最初にお見せするのが、来週発表するアテンザです。
マツダには、やるべき仕事がまだたくさんあります。しかし、率直に申し上げますが、日本のために力を作り出す企業の1つに、マツダは再び数えられることができるでしょう。マツダはビジネスを成長させる準備ができました。そして、今期は利益を倍増させる見込みです。
日本人は、マツダで働く2万人を誇りにしてよいのです。そして私は、マツダ社員のために、私たちが成し遂げたことを語りたいのです。
日本の一企業として、マツダは日本的なさまざまな良い資質を具現化しており、マツダが抱える課題は、日本の他の企業と共通のものです。
そして、このような困難な時期においては、これらの課題に解決を見出したどの企業も、学んだことを社会に広く伝える義務があります。
ですから、改革においてマツダが直面したいくつかの問題のうち、日本企業全体に関係すると思われるものについて、ここでお話ししようと思います。
今日は時間が限られておりますから、3つの点に絞らせていただきます。
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1つは年功序列制度 |
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もう1つは意思決定 |
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もう1つは意思決定 |
年功序列制
38歳でマツダの社長になったことに対して、反発のうねりがありましたが、そこから私は、日本の年功序列制について学ぶことができました、皆様がおっしゃる「よい機会」だったのです。
ですからこの機会に、私なりに熟考した日本の年功ベースの人材システムについての考察をお伝えしましょう。変化の必要性を認識しておられる多くの皆様に宗旨変えを説いているかのようですが、しかし、このメッセージは繰り返し述べるに足ると思い、単刀直入に申し上げることにします。
知力も体力も頂点にあるときに、もっとも優秀な日本人の多くが、なぜしかるべき地位に就くことができないのでしょう。
自分の能力を最大限に発揮する地位を与えられるまで、なぜこんなにも大勢の人が、長い間じっと待たなければならないのでしょうか。
私は現在の日本のシステムでは優秀な人材を十分に活用することができないと思います。
マツダで私は、日本の若い世代がいかに有能かを見てきました。それも、単に高いところから眺めた経験ではありません。
これまでの2年間、私はかなりの時間をリーダーシップスキルの伝承や指導に費やしました。
マツダのミレニアムプランの大事な要素は、私たちがMBLD、つまり「マツダ・ビジネス・リーダー・ディベロップメント」と称するものによって、リーダーシップ スキルを育てることです。
これをマツダがどれだけ重要視しているか、数字で示しましょうか。MBLDの最初の段階で、1万人を小さなグループに分け、職場を離れて丸2日間の集中的な訓練を行いました。
2万人/日のコストがどれだけの金額になるか、ちょっと計算してみてください。
それに、この教育にはコンサルタントを使いませんでした。実際に、私たち経営陣が皆この訓練を担当しました。
そして、マツダの高いポテンシャルを持つ若手のリーダーを対象に、別の能力開発プログラムも始めました。そして、このプログラムには私自身もかなりの時間を費やしました。
想像していただけると思います、10人の若手管理職が社長のいる小部屋に入った時、当初は皆ためらいがあったことを!当然ながら、誰も発言したがりませんでした。
しかし私は、すぐに雰囲気を和らげ、みんなに発言させることができました。質問させ、批判させ、ブレーンストーミングに仕向けたのです。
「どうしてその若さで社長になれたのですか?」など、質問は非常に率直なものでした。年齢と、出身大学のネームバリューに基づく従来の昇進制度に対する不満についても話し合いました。
もちろん、日本文化の旧来の一面として、このシステムを弁護したがる人もありました。これは、半分は正しいと思います。たしかに、年功序列制度を作ろうとする日本的な衝動は、古くから存在したものです。
しかし、日本の大きな自動車会社を創った人たちを思い出して下さい。
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本田宗一郎は、戦争が終わったとき39歳でした。 |
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豊田喜一郎は、1936年に最初の自動車を発売したとき42歳でした。 |
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そして松田重次郎は、後にマツダとなる会社が1920年に創業されたとき、45歳という年配でした。 |
これが伝統です。事業における重要な遺産なのです。
誤解のないように付け加えますが、50歳を過ぎた人を全員解雇すべきというようなことをいうつもりは毛頭ありません。
業務を適切に進めるためには、若いエネルギーやアイデアと、知恵や経験との均衡をとることが必要です。
しかしこれは、単に年齢が高いか低いかの問題ではありません。国際企業として日本の会社が必要とするのは、日本のエリート大学出身者に限定せず、人材を効率よく活用できるシステムです。
専門スキルを持つ人材の採用と経営状況の変化に応じた人員削減との両面で、中途採用による労働流動性の活用が必要なのです。
また、日本国内でも他のどこででも、女性が持つ巨大な能力を十分に活用することが必要です。
マツダでは、成長株の人材を早い時期に発掘し、育てることの必要性も認識しています。そしてこれが、マツダのリーダーシップ・ディベロップメント・プログラムの主要な目的なのです。
しかし、年功序列制のような中枢システムを簡単に解体することはできず、まず客観的で、効果的な、誰にでも納得できる代案を適切に設定しなければなりません。
そのためマツダでは、まず幹部社員を対象に、まったく新しい360度評価制度を採用しました。この制度では、同僚と部下、および上司によって、年に一度幹部社員の能力評価が行われます。
また、「人材開発委員会(PDC)」も導入し、さまざまなレベルで、それぞれの委員会に社員の成長を指導させました。たとえばわたしが座長となったPDC1委員会では、上級幹部270人の将来計画を担当しました。この委員会制度により、率直に言って、体系的なプロセスにまったく欠ける幾つかの既存のシステムが廃止されました。
年功序列制の改革は非常にむつかしい問題です。これが日本企業ではすべての個人間関係の核心に触れるもので、社員の間の言葉遣いにまでも影響するためです。
しかし、新しいグローバル環境で競争するために必要なツールを日本の若い世代に残そうとするのであれば、これに取り組むことが必要です。
私は確信していますが、これらのツールがあれば、より若い日本人が、日本の自動車産業の若き創立者達にふさわしい後継者であることがわかるでしょう。
合意による意思決定
もう1つの重要問題に移りましょう。それは意思決定プロセスです。
アメリカの会社から日本の会社へ、あるいは逆に日本の会社からアメリカの会社へ移ったとき、最初に気が付く違いの1つは意思決定プロセスです。
アメリカのシステムは一般に迅速かつ柔軟で、リーダーシップに応じます。新しいCEOは、着任して数週間で企業の方向を変えることができます。
方向転換においてアメリカ人が得意としているのは、ジョゼフ・シュンペーターの言う「創造的破壊」です。継続的に、力強く変更転換を繰り返し、会社を新しく作り変えることです。
しかし、合意や結束となると、失敗することが非常に多いのです。合意や結束があれば、優れた着想を力強く実行し、目標に向かってまっすぐに進んでいけるのですが・・・
日本のシステムはこれとは対照的です。私のようなせっかちなニューヨーカーにとっては日本の会社の意思決定は、氷河のように物事がほとんど進まないように見え、最初のうちは非常にいらだちました。
しかしよく吟味すると、日本的手法の持つ強みがわかってきます。
決定を核とした周辺合意の形成に時間をかけることで、日本の組織では、決定事項の強力かつ正確な実行が保証されるのです。それに、意思決定が最終的に行われてしまえば、実行は迅速でもあります。
ですから、2つのシステムを別な自動車と考えるなら、アメリカのモデルには非常に敏感なステアリング システムが付いていますが、日本のモデルはどのような道路条件でもまっすぐ走行できる正確な路面追従(トラッキング)機能つきです。
そしてこの直進性能は、マツダが急速に成長している時代には非常に役に立ちました。
しかし日本モデルの場合、方向転換が必要な場合、しかも急角度の転換が必要な場合はどうでしょう。私たちが「急激な変革」と呼んでいるものを実行する場合です。
これこそマツダが苦労した点であり、日本のどの組織も同様だろうと思います。
私が見るところ、日本における大きな問題は、リーダーシップ、つまり、進路を決然として変える能力より、「コンセンサスメカニズム」とでも呼べる先に述べた「優れたトラッキング機能」が優先されることにあります。
言葉を換えれば、コンセンサスについての日本の「全体志向」が、あまりにもしばしば、変化への勢いより優先するのです。
また、次の点も挙げられます。
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権限の委譲を阻害します。 |
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個人の独創性を低下させます。 |
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ブレーンストーミングを妨げます。 |
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いつまでも分析が続き、行動に結び付きません。 |
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そして、官僚主義をはびこらせます。 |
要するに、リーダーの手足を縛って目隠しをしますから、現状維持につながってしまうのです。
そしてさらに、逆説的ですが、この同じコンセンサスメカニズムが、日本の組織が持つ大きな強みの1つなのです。これこそが電光石火、完璧な業務遂行、厳しい品質管理、優れた仕事に対する献身を生む主要な要因です。
マツダの改革を始めるときに、このパラドックスが頭にありました。
この国での仕事のやり方の中に、本質的に強力な何かがある、と私は認識していました。
これを端的に示すのが、四半世紀の間に、マツダのような会社が文字通り原子爆弾の灰の中から立ち上がり、全世界の130か国以上で賞賛される自動車を作り出すことができたという事実です。
これも明らかなことでしたが、解決法というのは、単にマツダの文化を書き換えることではありませんでした。これはフォードの上級経営陣がいずれも強く感じ、これからも変わらないであろう見方です。
マツダは82年に及ぶ独自の伝統を持っていますが、この伝統は、日本の自動車文化の中で、最も強力なものの1つなのです。
マツダは、その全盛時においては、革新を起こす勇気を持つビジョンのある会社として、日本の自動車産業では卓越していました。その結果生まれたのが、マツダ ロードスターや不朽のRX-7のような、独自の魅力を持つ製品です。ロードスターは世界で最もよく売れているスポーツカーであり、RX-7は独自のロータリーエンジンを搭載しています。
私たちはこの遺産を大切にし、その強みを土台として進むことを決意しています。
しかし、私がマツダの社長に就任したとき、この会社が方向を見失っていることは、誰の目にも明らかでした。どのような製品やブランドを作り上げるか、はっきりとは分かっていなかったのです。つまり、焦点が定まっていなかったのです。組合と経営陣の関係は、良好ではありませんでした。
根本的な改革がただちに必要でしたが、これまでのシステムでは対応出来ませんでした。
私はそのような改革を起こすべく強い命令をうけて着任したのですが、その会社を助ける価値をあらしめている文化と精神を破壊せずに、それを行うことができたでしょうか?
これはむつかしい仕事でした。そして、これが悩ましいものだったというのは、マツダの強み自体が、その限界と密接に繋がっていたからです。また、同じことが日本全体にも当てはまると思います。
マツダの社長としての最初の7か月は、経営陣と一緒になって、マツダの将来の新しいビジョン創りに費やしました。全員が緊迫感を共有し、一人一人が会社全体に伝えられるものです。
自分の部門の枠を超え、大局的に課題を見つめてほしいと思ったのです。自らの会社を動かしている経営者として問題をながめ、事業のあらゆる面を探求してほしかったのです。それは、コスト問題、従業員数、過剰な生産能力、不首尾に終わった成長戦略、そして、曖昧になったブランドイメージです。
社長としての私の視点から、事業を見つめてほしかったのです。
改革の必要性は緊迫していましたから、無駄にする時間はなかったのです。そしてここで、私は新しくて困難な何ものかを学ばなければなりませんでした。
私のニューヨーカーカーとしての本能は動け、迅速に動け!と告げました。しかし、日本の状況の中では、事がそう簡単には運ばないのが明らかでした。
メディアと市場は、即座の結果を求めていました。しかし、成功に必要なのは、大きな忍耐と、人の話によく耳を傾けることと、プロセスにレーザー光線のようなフォーカスを当てることだとわかっていました。
まず、経営陣全体の支持を得なければなりませんでした。生抜きのマツダ社員と海外から来た新参者の間で共通の目的意識を創り出すことです。それはまさに重要であり、時間が掛かることでした。
一旦、コンセンサスが得られると、我々は最も困難な課題ですら取り組めたものです。これが日本式のプロセスの強みです。時間を掛けて、きちんとコンセンサスを得れば、マツダのような組織では、その後の行動は電光石火に行われます。
私たちは総意による意思決定を行なったのではありません。私が意思決定を行なう必要がありました。しかし、意思決定は総意をもとにしていなければなりません。これは微妙ですが、決定的な違いです。すべての人がその決定プロセスに携わらなければならないのです。
実際に、その後何段階にもわたって、コンセンサス形成の伝統的なプロセスを踏みました。以前に述べたことがありますが、どのような変化が必要なのか、なぜ必要なのか、非常に詳細にわたってすべての従業員と討議を重ねたのです。
これは、マツダにとっては革命的なことでした。情報の「上意下達」は、アメリカの企業活動と切り離せない特徴になっています。また、コンセンサス形成は、日本的経営が昔から持っている特徴です。
マツダの革新は、これまでとは違って全員が参加すべきもので、マツダのすべての従業員に、事業全体を総合的に理解させるものでした。
このやり方によって、日本の合意形成が持つポテンシャルをすべて発揮させることができたとわかったのは、私たちにとって喜ばしいことでした。これは、会社の方向決定に関し投票権を従業員に与えることを約束するものではありませんし、誰もそれは期待していません。検討に参加したことが強力なサポートになります。要するに、自分が参加していると実感できる活動に対しては、人間はより積極的になるものです。
日本的手法と西洋的手法のこの組み合わせは、これを起点に、マツダにおいて新しい強力なハイブリッド企業文化となるものと期待されます。実際、やがてこのマツダによる革新は日本中の企業に広がると確信しています。そして、私は新たに担当するPAG(フォード・プレミア・オートモーティブ・グループ)でもマツダで学んだことを実践するつもりです。
コーポレート ガバナンス
意思決定改革にはもう1つの面があり、それについてお話ししたいと思います。特にこれに関しては、この分野での重要な新しい活動を昨日発表したばかりですから。
これからお話しするコーポレート・ガバナンスというのは、ここ数年世界の新聞の一面を飾るようになった問題です。
資本市場がますますグローバル化する中、(企業経営の)規格統一に対する強いニーズがあります。
仮に貴方がグローバル・ファンド・マネージャーであれば、各投資先が満たすべき要件を規定したチェックリストを持つことでしょう。そして、コーポレート ガバナンスは、その必須要件のひとつでしょう。貴方は、その投資先が可能な限り高い企業経営の透明性と説明責任、そして迅速で効率的な意思決定を可能とするシステムを備えているか確認したいでしょう。
実際に日本政府は、この問題に対処するため、商法改正の準備を進めています。
マツダの新しい動きはこの法律改正を想定したものであり、コーポレート・ガバナンスを現在及び将来の投資家の期待に沿ったようにするものです。
この活動には3つの大きな目的があります。
1. |
執行役員の役割を監督・監視から明確に分離すること。 |
2. |
役員の役割を明確に定義することと社会全般からの指導を得ることで、経営の構造をより透明にすること。 |
3. |
そして、意思決定を迅速にするため、日常的な意思決定を、取締役会の承認を必要とする問題とは明確に区別すること。 |
これらの目的を達成するため、マツダは:
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マツダの取締役会のサイズを大幅に縮小する・・・役員数を24人から9人に |
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執行役員制度を導入する。 |
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本年後半に実業界、専門的職業人、学界の著名人を含む経営諮問委員会を創設する。 |
おそらく皆様のほとんどが知っておられるでしょうが、新しい商法改正は、企業に対していくつかの構造選択肢を設けるものです。変更を必要としない会社もあるでしょう。また、推察しますに、ここにおられる方の多くが、どのようにして商法改正に対応するか検討されていらっしゃるのでしょう。
改革のさまざまな分野と同じで、これはむつかしい選択になりますが、もしこの問題についてひとつ助言させていただくとすれば、それは、新しい法律に合わせるために行なうすべての変更を、意思決定プロセスの合理化にも確実に役立つものにすることです。
マツダ精神
改革の過程では、生涯にわたる習慣と態度を見直し、変更することが求められます。これは困難で、意欲を失うことが多い仕事です。うまく行きそうだったことではなく、うまく行かなかったことに絶えず焦点が当てられるとすればなおさらです。
ですから、改革を指導するにあたってどうしても必要なのは、会社が取り得る方向と、取らなければならない方向を示す説得力のあるビジョンなのです。
マツダの場合このビジョンは、会社が持つ独自の強みを正確に定義するものであり、明確に定義可能な世界中の潜在的顧客が持つ願望に、マツダの強みを合致させるものでなければなりませんでした。
今日のきびしい世界市場で生き残るにあたり、マツダのような規模の会社は総花的なことはできません。そこで、マツダが満足を与えることができるとわかっているお客様を慎重に選別し、あらゆる知恵を絞り、これらのお客様の特定のニーズや望みに、他のどこよりも適切に対応できるようにしなければなりません。
つまりマツダのビジョンは、こんにちの自動車を作るという、地球上でもっとも複雑な製造プロセスのすべての面で、お客様の願望のマトリックスに焦点を当てなければならないのです。
ビジョンは、会社内のすべての人を」奮い立たせ、方向を示し、希望を持たせるとともに、世界に向かって会社を明確に示すものでなければなりません。
このビジョンは、明確な本物のマツダ精神であるべきです。この精神は、最終的に、明確に、マツダの自動車に体現されるものです。
そして、「スピリット」がここでキーワードになるのは、他のどの消費財よりも、自動車においては「スピリット」が重要だからです。道路を走る車の中で目立つ車、時を越えて残る傑作車、人々の所有欲をかきたてる車・・・こういう車はすべて、単にすべての部品を集めた以上の何物かになるスタイルとスピリットを具体化しているのです。
ボルボが凝縮されたスウェーデンであり、ジャガーがある種のイギリスの洗練の典型であるのと同じように、マツダスピリットは、日本独自の自動車文化を最も力強く表現するものであり、これからも変わらずにそうあるべきなのです。この種のユニークさは、まさに自動車業界に必要なものであり、お客様が望まれるものであるからです。
私たちは、このユニークな価値を、「マツダデザインとプロダクトDNA」と呼んでおり、そしてマツダの使命は、すでにお話したように、明確に定義された顧客層の願望に、これを一致させることです。
想像がつくと思いますが、この顧客群を定義することは非常に困難です。130か国以上の異なる国の人を相手にしていますし、この人たちは、サブコンパクトカーのデミオから、まもなく発表するRX-8スポーツカーまで、どれでもを購入される可能性があるのですから。
しかし、マツダの3大市場である日本、北米、およびヨーロッパに目を向け、ターゲット顧客とその願望に焦点を絞れば、非常に明確な構図が現れます。明瞭な、一連の首尾一貫した、世界に通じる価値です。
そしてこれらの価値は、綿密に目標を定めた新しいブランドアイデンティティの基礎です。このブランドアイデンティティは現在、マツダで行われるすべての仕事の原動力となっています。
マツダの使命は、お客様の願望を車で実現することであり、マツダではこれを、「センスが良く、創意に富み、はつらつとした」としています。
マツダのお客様はあるスタイル観を持っておられます。活動的で、若い心を持ち、思慮深く、自分が好むものを知っておられます。なににも増して、運転することが好きです。よく設計され、丁寧に製造された車の感覚と反応とハンドリングを楽しまれるのです。
マツダが発見したのは、その本質が、動くものに対する子供のような愛着だということです。この感覚を最も的確に示すのは、子供がそれを表わすために使う、「ズームズーム」という言葉です。
「ズームズーム」はマツダのブランド メッセージです。これが表しているのが、私たちが取り組んでいるマツダスピリットです。このメッセージは、マツダの広告とマーケティング活動の基調として、段階的に世界中に紹介され、反応は非常に良好です。響きが明るく、一度聞いたら忘れられず、複雑なものを非常に単純にしてしまうからです。
しかし、ズームズームは単なる手始めであり、マツダがこれから発表するすばらしいもののファンファーレなのです。
昨日、マツダは82年の歴史の中で最大の収益改善を発表しました。
そして来週、アテンザを市場導入いたします。アテンザは2年ぶりの完全な新製品であり、マツダの新しいブランド価値を具体化する製品群の最初のものです。
これから数年間は、16種類の新車導入が続きます。お客様の期待と願望を超えると、マツダが自信を持っている製品です。
マツダはトップギアに戻ります。燃料となるのは新しい本当の力ですが、この力を生み出す方法は、手ごわい障害を越えることだけです。
やるべきことはたくさん残っていますが、マツダの目標は今や明確です。そしてマツダの社員は、目標を達成するための高いモチベーションを持っています。
マツダの若い世代は、祖父の世代、つまりマツダを建てた戦後世代と対等に向き合い、次のように言えるようになったのです。
「失望はさせません。受け継いだ遺産は大切にします。そして、灰の中からマツダを再建されたように、さらに大きく再建します」
すでに述べたように、私はこの戦後世代を、個人的に深く尊敬するようになりました。それは、単に経済的な功績だけのためではありません。
私が深く尊敬しているのは、戦後世代を動かし、最大の敵を取り込んで最良の友人にさせた精神の偉大さです。
ブッシュ大統領は最近東京で、「日本とアメリカは150年にわたって友人であった」と語り、一部の人に批判されました。
「戦争がありましたが?」と批判者は質問しました。
そうです、おそらくブッシュ大統領が言いたかったのは、まさに戦争があったからこそ日米関係は大切にしなければならない、ということでしょう。
信じがたいほど激しい憎しみが再び新聞の一面に現れるとき、希望の象徴として大切にすべきは、あれほど激しく敵対していた2つの国が、同じ世代の間に密接な同盟を結び、友人となることができたという記憶です。
私は日本と合衆国との友情は、両方の国民が持つ偉大さを示す最大の証拠と信じています。
そして、経済活動の場で格差が消えるに伴って、この友情はさらに強くなるはずです。
それでも、解決すべき経済摩擦の問題はやはり残っています。特に問題なのが自動車産業です。
しかし、マツダとフォードの協力は、日本を、そして日米関係をさらに強化した、と私は固く信じています。
私たちの目標は、マツダをフォードの従順な子供にすることではありませんでした。
日本における強い力として、世界市場での自信あふれる日本の参加者として、マツダが再び浮上するところを見たいのです。
そして、それにより、フォードもマツダと同様に、日本社会と日本市場において、尊敬される地位を獲得できるように望んでいます。
あと6週間で私はマツダと日本を離れ、フォードのプレミア・オートモーティブ・グループのトップとして、新しい課題に挑戦します。
ここでの仕事はまだ終わっていませんが、マツダが単に生き延びるだけでなく、繁栄するだろうと安心して日本を去ることができます。
リーダーシップはとても重要です。そして、その重要性を強調し過ぎることはないでしょう。しかしリーダーシップとは一体何でしょう?
一瞬たりとも、私が「一人の偉大なリーダーが何千もの微力な兵士に囲まれている」と考えているとは思わないで下さい。このようなことではうまくゆきませんし、我々が目指すものでもありませんでした。
マツダはたった一人のイメージで再建された訳ではありません。私にとって、リーダーシップとは会社のあらゆる層で形成されるべき資質です。
マツダのトップのリーダーシップが失われる訳でもありません。我々はとても有能な経営陣を抱えております。私の後継者ルイスブース氏は極めて深みがあり、高潔で、経験豊富です。特に異文化間の経験が豊富です。ブース氏の能力は疑問の余地なく高いものであり、私は自信を持ってバトンを渡せます。
私はマツダを良い方向に変革できたことを願っています。しかし、マツダと日本が深く私を変えたことについては、確信をもっています。
そして、その私の変化については、私の同僚と皆様に負うところ非常に大なるものがあります。
今回の経験は私をより我慢強く変えました。より良く耳を傾けるようになりました。そして、良いリーダーにしました。
また、私はマツダの方々と仕事をして経験した、彼らの業務と会社への献身と尽力に非常に深い敬意を持って去ります。実際、今後は私の人生で何処に行こうとも常にマツダのすばらしい資質をベンチマーク、黄金律とします。
共に苦労した中で生まれた友情と、この4年間日本で出会った大勢の人から受けた素直な好意とを、とても大切な思い出として持ち帰ろうと思います。
今後私が日本を外国として見つめることは決してありません。
ご静聴、大変ありがとうございました。
※ このスピーチは2002年5月16日に東京會舘でおこなわれました。