社長・役員
スピーチ
マツダ株式会社 2025年度入社式 社長挨拶
【代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者):毛籠 勝弘(もろ まさひろ)】
皆さん、おはようございます。2025年4月1日。今日は、皆さんが社会人としての第一歩を踏み出す記念すべき日です。まずは、入社おめでとうございます。心より歓迎いたします。
ここに集った508名の皆さんには、これから始まるマツダでの仕事を通じて、社会人として成長し、充実した人生を歩んでいただきたいと思います。これまで支えてくださった方々への感謝の気持ちや自らの成長を思い描きながら、日々を大切に過ごしてください。皆さんの前向きな努力の積み重ねが、未来を大きく切り拓いていくでしょう。皆さんの配属先では、上司、先輩、同僚が温かく迎え入れ、皆さんがいきいきと仕事に取り組めるようサポートしてくれるでしょう。どうか、安心して飛び込んでください。
さて、会場の前には2台のクルマが展示されています。これは、マツダの歩んできた歴史と、現在の姿を象徴するものです。
マツダは、1920年に広島で創業し、1931年に三輪トラックの製造を開始しました。創業者・松田重次郎の志は、「工業を通じて世界に貢献する」こと。その想いが込められたモデルが、皆さんの向かって左手に展示されている三輪トラック「マツダ号」です。
当時、日本は経済発展の途上にあり、物資の輸送が不可欠でした。マツダ号はその需要に応え、地域や国の経済発展に貢献しました。しかし、1945年8月6日、広島は原子爆弾の投下により、一瞬にして壊滅的な被害を受けました。当社の前身である東洋工業も多くの従業員を失いました。しかし、私たちが今いる向洋の地は、比治山という小高い山が爆風を防いだことで、幸いにも壊滅的な被害を免れたことから、広島の復興に向け、県庁をはじめとする多くの機関がこの地に移転し、本社屋には官民問わず多くの人々が集いました。
そして、終戦からわずか4カ月後、マツダは三輪トラックの生産を再開し、広島の復興を支えたのです。こうした経験を通じて培われた「決して諦めない精神」は、マツダと広島の絆をより強いものとし、当社の「飽くなき挑戦」というスピリットとしてロータリーエンジンの量産化開発成功、そして現在のSKYACTIVエンジンなどへと受け継がれています。
また、広島の復興を支えたのは、人々が前向きに今日を生き、明日へとつなげようとする姿勢でした。その中で、平和の象徴ともいえる「笑顔」が広がっていきました。
マツダは、この平和都市・広島に生まれた企業市民として、「人々の笑顔をつくり、社会をより豊かにする」ことに貢献すべく、「前向きに今日を生きる人の輪を広げる」をマツダブランドのパーパスとして掲げ、その想いを大切にしています。
三輪トラックの隣に展示された「マツダ ロードスター」は、「走る歓び」を体現するマツダの象徴的なモデルです。35年間で世界累計120万台以上をお客さまの元にお届けし、世界で最も愛される「2人乗り小型オープンスポーツカー」として多くの人々を魅了し続けています。
この2台のモデルの間には、約100年にわたるマツダの歴史、そして広島の復興と挑戦の物語があります。そして終戦80年となる今年、皆さんもその歴史の新たな1ページを開く一員となるのです。
さて、最後に、皆さんに一つ提案したいことがあります。それは、社会人生活のスタートにあたり、「自分の未来を描くこと」です。20代では何をしたいのか? 30代、40代ではどう生きていたいのか? そして、50代になったとき、どのような自分になっていたいのか?
また、仕事においても、自分は何を極めたいのかを考えてみてください。スペシャリストとして技術を追求したい人、マネージャーや幹部を目指したい人、海外でチャレンジしたい人、あるいは趣味と仕事を両立させたい人。未来の姿は人それぞれです。
もし「何をしたらいいか分からない」と思う人がいても、それで構いません。その正直な気持ちを受け止め、まずは考えることから始めてください。そのプロセスこそが大切なのです。ちなみに、私自身も若い頃に描いた未来とは全く異なる道を歩んでいます。しかし、当時の想いを振り返ることで、自分の原点を再認識することができました。
皆さんもぜひ、今日の気持ちを大切にし、社会人としての一歩を踏み出してください。皆さんの今後の活躍を心から期待しています。以上で、入社式に当たっての私の歓迎のあいさつといたします。共に、がんばりましょう。